少年の日常と少女の非日常




その少年は、浜辺で釣りを楽しんでいた。 
彼の現在の立場から考えるとそれは甚だ場違いな行動であるのだが、彼ばかりを責めることはできない。 
彼が支給品の袋から得た物はどこからどう見ても一本の釣り竿で、彼が子供であることを考えたら 
とりあえず釣りをしてみようという結論に達したとしても無理のないことだ。 
氷の城の広間にいた頃は「何かまずいことになったぞ……」と思っていたのだが、釣り竿を見た瞬間、 
他のことはすべて二の次になった。 
少年の単純な思考というものは、時に「やらなければいけないこと」より「やりたいこと」を優先させてしまう。 
いつの時代も少年が釣り竿を握った時に考えることは一つ。 

「よし、これで大物を釣ってやるぞ!」 

そんなわけで、彼は意気揚々と浜辺の岩場で釣り糸を垂れているのであった。 





その少女は思い悩んでいた。 
彼女の心は不安でいっぱいだった。見知らぬ場所、見知らぬ人たち。あの非道な雪の女王。 
何もかもが初めてで、何もかも恐ろしかった。 
ここに来る前の彼女の悩みといえば、胸に秘めたせつない恋心だけであったのだが、今はそれさえも思い出している 
余裕はなかった。 
「ああ、どうしよう。どうしよう。ここに隠れていれば大丈夫かしら? 大丈夫よね? 
 ここには誰も来れないもの。ええ、きっとそうよ、大丈夫……」 
どんなに自分に言い聞かせても不安はひたすらに募るばかりで、彼女こわごわと辺りを見回した。 
彼女を包む静かな優しい彼女だけの世界。 

「ああ、どうか誰にもこの静寂を破られませんように!」 

彼女はひたすらに祈った。 
初めて恋を知った時に、その恋よ叶えと願ったときよりも強く祈った。 

しかし、たいていの場合、そのような祈りは届かないものである。 



少女は急にもの凄い力で自分の体が引っ張りあげられるのを感じた。 
悲鳴を上げる暇もなく体はどんどん持ち上げられていく。 

何!? 何が起きてるの!? 

彼女は恐慌に陥って必死にもがく。 
しかし、どんなにもがいても無駄だった。 
正体不明の恐ろしい力は容赦なく彼女を引きずり上げ、ほどなく彼女は優しく静かな隠れ家から完全に引っ張り出されていた。 



気が付けば、一人の少年が、面白そうに彼女の顔を覗きこんでいる。 
明るい金の髪によく似合う緑の帽子と緑の服、澄んだ瞳の陽気そうな少年であった。 
年の頃は、彼女よりやや幼いように見える。 
彼は彼女の姿を一通り眺めてから、にっこりと笑った 
「 へぇ、こいつはいいや。大物だ! 人魚が釣れたぞ、まぬけな人魚だ!」 
少年は陽気に叫ぶと大口を開けて馬鹿笑いをし始めた。 
釣られた人魚――美しい魚の下半身を持つ人魚姫は、驚いてただ大きな瞳を見開くだけだったが、その言葉にようやく事態を飲み込む。 
慌てて自分の下半身を探り、美しい虹色の鱗に覆われた魚のそれに突き刺さっている大きな釣り針を見つけた。 
ちょうど尾ひれのつけ根のあたり。不吉な銀色は、陽の光を受けてぎらりと光る。 
そうして自覚すると、刺さったあたりが急に痛み出すようで、人魚姫はもう悲しいやら情けないやらで、遂にしくしくと泣き出してしまった。 

突然泣き出した人魚を見て今度は少年の方が驚く番だった。 
たとえ自分の行為の結果で誰かに怪我をさせてしまおうとも、そしてその相手の痛みをわからず爆笑していようとも、 
彼にはまったく悪気というものが存在しなかった。 
同時に、悪気がないぶん、残酷なことも平然やってのける子供の無邪気さが存在していた。 
そしてその身勝手な思考は決して改まることがない。 
何故なら彼は決して大人になることはない永遠の少年、ピーター・パンであるからだ。 

ピーターは泣き出した人魚を困惑しきった顔で見つめている。 
大部分の少年がそうであるように、彼もまた“泣いている女の子”が苦手だった。 
目の前で女の子が泣くと、なんとも居心地の悪い空気になってその戻し方がわからない。 
そして大方の場合、少年達には少女が泣き出す理由すらもわからないのだ。 
ピーターはううん、と唸って考える。 
彼は人魚を見るのは初めてではない。 
だが、彼が知るネバーランドの人魚たちは陽気で気が強くていたずら好きで、この少女よりずっと大人の女だった。 
彼女たちの泣き顔などピーターは見たことがなかったので、人魚は泣かない生き物だと思っていたくらいだった。 
それなのに、目の前の小さな人魚は突然泣き出すのだから始末が悪い。 

彼はなんとか人魚をなだめすかそうとしたが、彼女は聞く耳持たずにひたすらに泣き続ける。 
そのうちに、短気なピーター・パンはだんだん腹がたってきた。 
「ち、なんだい。陰気な人魚め。泣き虫め。あっちへ行っちまえ!」 
ピーターは小石を拾うと人魚に向かって軽く投げた。 
石は人魚の剥き出しの肩にこつんと当たる。 
彼女はびくりと顔をあげて、この乱暴者から逃れようと慌てて海へ潜ろうとした。 
しかし、まだ釣り針を抜いてないものだから彼女が海へ飛び込むと釣り竿も一緒に引っ張られ、当然それを握ったピーターも引っ張られる。 
突然のことに、ピーターは思わず海に転げこんでしまった。 
「やったな! ばか人魚!」 
ピーターは叫んで立ち上がると、怒りにまかせて釣り竿をめちゃめちゃに振り回す。 
子供らしからぬその怪力に引っ張られ、人魚姫はそのたびに浅瀬の岩に体をぶつけた。 

痛い痛い痛い痛い痛い! 
ひどいひどいひどいひどいひどい! 

人魚姫はすっかりパニックになって尻尾をびちびちと跳ね上げて暴れ出した。 
そうやって跳ね回るうち、ようやく釣り針が外れて自由になる。 
「あっ!」 
ピーターが叫んだ時には、人魚の姿は波間に消えていた。 
「あーあ……」 
ピーターは落胆したとも安心したともいえない気分になって釣り竿を投げ捨てた。 
びしょ濡れになってしまった自分の体を情けなそうに見つめると、海に背を向けて歩き出す。 
釣りにはすっかり興冷めしていた。 
「とんだ大物だよ。まったくまぬけな人魚め。今度会ったら覚えてろよ!」 
悔し紛れの勝手な捨て台詞を、しかし言い切ることはできなかった。 

肩に、熱い激痛が走る。 

「うわあっ!」 
ピーターは悲鳴を上げて砂浜を転がった。 
見ると左肩から青白い刀身がにょっきりと生えていた。 
後ろから刺されたと理解するのに数秒。それが先ほどの人魚の仕業と気付くのにさらに数秒。 
「くそったれ!」 
ピーターは慌てて見回したが、もはや水面に人魚の姿は見分けられなかった。 
どのみち海に逃げられたのなら相手は人魚である。いくらピーター・パンでも分が悪い。 
実は首輪の効力で島から離れられないので、人魚姫といえどもそう深く潜ったわけではないのだが、そこまでは気付かなかった。 
ピーターは舌打ちすると器用に背中に手を回して刺さった剣を引き抜く。 
ずきんと激しい痛みと共に血が溢れ出た。 
「ああくそ。重傷じゃないか、みっともない。のろまのどじめ。僕はピーター・パンだぞ!」 
傷の痛みはそのままプライドの痛みだった。 
女に後ろから刺されるなど、勇敢で知られるピーター・パンにあるまじき初めての屈辱だった。 
「卑怯者め。いまいましい人魚め。必ずとっつかまえて塩焼きにしてやるぞ!」 
自業自得という言葉を知らない彼は、怒りにまかせて暴言を吐き散らした。 

数分後、砂浜に投げ出した自分の血にまみれたその剣を見てピーター・パンはふと首をひねった。 
「あれ? これは……この剣は見覚えがあるぞ。……なんてこった!」 
ピーターはようやく合点がいったというのに膝を打った。 
「これはフックのサーベルじゃないか! うん、そうだ。間違いないぞ!」 
あろうことか、それはピーター・パンの宿敵ともいえる海賊、フック船長の愛用のサーベルであった。 
このフック船長とピーターはとにかくお互いが大嫌いで、特にフック船長の方はピーターがその腕をワニに食わせてやってからというもの、 
生命の危険まで増大しているものだから、何かにつけてはピーター・パンを亡き者にせんと様々な手段で仕掛けてくるのであった。 
「そうか。わかったぞ。あの人魚はフックの手下だったんだな! 僕を油断させるために泣き真似をしてたんだ! 
 卑怯なフックめ、見てろ! そっちがその気なら僕は容赦しないぞ!」 



ピーター・パンが完全なる勘違いで改めて打倒フックの決意を固めている頃、当の加害者は近くの岩影で震えていた。 
ピーターの粗暴な振る舞いが恐ろしくて背を向けた彼に思わず剣を投じてしまったのだが、まさか刺さるとは思わなかったのだ。 
彼女たちには自覚はないが、海中で常に水の抵抗を受けて生きる人魚の腕力は人間よりもずいぶんと怪力であるのだ。 
軽く投げたつもりが深々と突き刺さってしまって、ピーターが怒り狂っているものだから、人魚姫はますます怯えた。 

やっぱり地上は怖いわ。人間は怖い…! 

人魚姫は亜麻色の髪をかきむしって絶望に震えた。 
人間の王子に恋をした彼女をたしなめる姉達の言った通りだった。人間に関わるとろくなことがない。 

そうよ、王子様だって人間だもの。姿は優しげだったけれど、目を覚ましたら怖いのかもしれないわ。 
人間は、綺麗な顔をしてるから綺麗な心とは限らないのよ。あの乱暴な男の子だって綺麗な顔をしていたもの! 
あぁ、早まって魔女のところへ行かなくてよかった! 

人魚姫は王子恋しさのあまり、魔女のところへ行って人間の足を貰おうかと考えていたのだった。 
よくよく考えたら気絶した顔を見ただけの、見ず知らずの男のために。 

私は馬鹿だったわ。 
ああ、もう本当に人間というのは恐ろしい……! 

背後の砂浜で彼女が刺した少年が何事か叫んでいる。よく聞こえなかったが自分への怨嗟の声に決まっている。 

どうしよう。あの乱暴な男の子は私に復讐する気だわ! 今度会ったら私を殺すわ! 
……いや! いやよ、私は殺されたくない……死にたくない! 痛いのも怖いのもいや! 

彼女は先ほどの大暴れで擦り切れた下半身を見つめた。 
ところどころ鱗が剥げ、血がにじんでいる。美しい虹色も、どこかくすんでいるように見えた。 

そうよ、殺されるくらいなら、いっそその前に…… 

恋に憧れる夢見がちな少女だった人魚から、すでに夢見る瞳は消え失せていた。 
彼女は残酷な支配者たちの思惑通りに、そっと暗い決意を固めたのだった。 

【D-10/浜辺】 
【ピーター・パン@ピーター・パン】 
 [装備]フックのサーベル@ピーター・パン、支給品一式、※釣り竿@浦島太郎は浜辺に放置状態。 
 [状態]左肩負傷(サーベル貫通による刺傷) 
【人魚姫@人魚姫】 
 [装備]支給品一式(武器以外) 
 [状態]健康、尾ひれのつけ根に裂傷、下半身に軽い擦傷 


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