二つの名前




「それにしても金太郎とは、また懐かしい名前で記されたものだ」 
袋の中に入っていた名簿を確認しながら、青年――坂田公時はくすりと小さな笑いをその顔面に浮かべる。 
その笑みに僅かばかり苦悩の色が隠れているような気がするのは、決して思い過ごしではなかった。 
精悍さを感じさせる瞳は苦笑交じりで手の中の紙を見つめつつも、どこか遠くに残した思い出へと思いをはせている。 
それは遥か遠く、今や回顧するのも虚しくなるような幼年期の呼び名であった。 
――金太郎。 
足柄山で動物たちと暮らしていた頃のその名はもう何年も呼ばれたことが無く、本人ですら懐かしさを喚起させる響きを持っていた。 
一度捨てたその名前は、公時にとってさながら厳重に封印されたパンドラの箱のような存在だ。 
それは目を背けてきた可能性。本来歩むべきだったのかもしれないもう一つの未来。 
進むのをやめてしまった、けれどどこかで進みたかったと切望していた別の道――。 
思考を中断することなく回想を続けながら、公時は「もしも」と今になっては何の意味も成さない無為な仮定を思い浮かべる。 
もしもあの時頼光様の誘いを断って山に残っていたら、自分は一体どのような生活を送っていたことだろうか? 
当時と変わらず、毎日のように熊や兎と遊んで、腹がすけば取った魚や木の実を互いに分け合って食べる。 
夜は一つの穴倉に皆で身体を寄せ合って、その日の楽しかった思いを枕に眠る。 
恐らく、そんな他愛の無い日々を飽きもせず続けていただろう。 
それを羨ましいものだと思ってしまう自分がいることに馬鹿馬鹿しさを覚えて、ふっと張り詰めていた息を吐く。 
ひどい皮肉に思えた。 
わざわざあのような名を使用する主催者に無性に腹が立った。 
……今の自分は既にあの時の純粋な『金太郎』とは全くの別人であるというのに。 
腹の底から唸り暴れる猛獣に身体を内側から食い破られるような痛みが、心臓を襲いぎりぎりと痛ませる。 
胸の痛みを生む苛立ちを紛らわそうと持っていた名簿をくしゃりと握りつぶすと、その破壊の感触は彼に武士として過してきた歳月の記憶を如実に思い起こさせた。 


命令があれば、誰であろうと関わり無く相手を殺してきた。 
血に塗れた己の両手に絶望しながらも、元が卑しい生まれである自分には拒むことなど到底できはしなかった。 
公時にとって主の命令は絶対であり、全てであったのだ。 
それは、田舎の山奥にいた自分の力を認め武士として取り立ててくれた頼光様の顔に泥を塗るまいとの一心だった。 
あの方に恥をかかせてはいけないと、ただその思いのためだけに、公時は幾人もの人間を手にかけた。 
敵方の武将や都を荒らす化け物はもちろんのこと、時には単に覇権争いの火種になりかねないからという理由だけで幼い子供を殺したこともあった。 
命を受けた彼の前では誰しも関係なく、皆平等に死を迎えさせられた。 
男も女も人間も鬼も強い者も弱い者も富める者も貧しい者も。 

――そして、多くの動物達も。 

そこにかつての友人が多くいると知りながら、公時は山を焼き払った。 
仕方なかったのだ。 
強力な政敵として頼光様を脅かしたあの武将を倒すためには、奴の邸の裏手にそびえるあの山に火を点ける以外、方法は無かった。 
あの時奴を倒しておかねば、いつ戦になってもおかしくは無い。そんな状況だったのだ。 

火打石を重ねるとき、打つ指先は震えが止まらずに冷たく青ざめていた。 
松明を木に寄せたとき、顔には一筋では足りぬ量の涙が伝っていた。 
耳をすませれば、不安げな動物や鳥の鳴き声があちらこちらから聞こえていた。 

それでも、やらなければならなかった。 
そして、――――やった。 

あの日、あの瞬間から青年は『金太郎』ではなくなった。 
そこにいるのは人を人とも思わない、命を命とも思わない一人の武将『坂田公時』。 
主のためならば何をするのも厭わない冷徹にして冷酷な男。 

「……私はこの地位を保つために友ですら殺した男だ。今更、何を迷う必要がある?」 
回想を止め一人ぽつりとそう言うと、まだどこか強張った顔つきを崩さぬままで彼は袋の中に手を伸ばした。 
彼はこの時、既に殺戮に乗るのも仕方がないと諦めていた。 
今更人を殺す事を躊躇うほど、自分は綺麗な人間ではない。 
血染めの我が身には、最早他者の命を労わる思いなど存在しないのだから 
そう思いながら殺傷力の高い武器が出てくるのを期待して袋をかき回す彼の手に、金属的な冷たい何かがひやりと触れた。 
それを口から取り出した公時は、そこにあるのが何か気づいて見る間に顔色を白ざめさせた。 
袋から現われた支給品は彼にとってあまりに皮肉的な、ある種悪意さえ感じさせる一品だった。 
彼はそれに見覚えがあった。 
いや、見覚えなどという生易しい表現では全く足りない程に彼とその武器との関係は深かった。 
そこから出てきたのは、幼い頃の彼が親友同然に愛用していたあのマサカリであったのだから。 
よく手入れされた銀色の分厚い刃は、当時と変わらぬ姿のままぎらりと光り輝いている。 
手に馴染む心地よい重みは、彼の身体に染み付いて離れぬ、忘れようにも忘れられない感覚だった。 
命を奪うには十分すぎるその武器を手に、しかし青年は混乱を隠せなかった。 
……私はこれで、この相棒で人を殺すのか? 
いや、何を馬鹿なことを。今更相棒だと?虫のいい話だ。 
――しかし! しかしそれでもこれは、唯一私が昔の私であった証。 
他の刀はいくら血に染めても構わない。けれどこのマサカリだけは――。 
公時の心中奥深くで、二つの思いが矛盾しつつもせめぎあい争いあう。 
くだらない感傷だ、と思った。今更そんな誇りなど大切にしてなんになるだろう、と。 
けれど、どうしてもこのマサカリだけは鮮血で汚したくなかった。 
これを汚すというのは、すなわち昔の自分、純粋だった『金太郎』を汚すことになる。 
それだけは、それだけは嫌だった。今の自分がどれほど血に染まろうとも、せめてあの頃の自分だけは――。 
「……頼光様、私に命令を下さい。貴方様さえ命令してくだされば、私はくだらない誇りなど捨て何時でも鬼になりましょう。 
さすればこの坂田公時、この島の者を皆殺しにしてでも貴方様の元にお戻りいたしますから。 
ですからお願いです。ご命令を…………」 
その喉の奥から無理に絞ったような悲痛な叫びは、さぁっと突然吹いた一迅の風と共に空に消え行く。 
天を仰いだまま主の姿を脳裏に浮かべ、誰も聞くもののいないその場で公時は声を上げるのだった。 

【A-9/断崖】 
【金太郎@金太郎】 
 [装備]マサカリ@金太郎、支給品一式 
 [状態]健康 


前話   一覧   次話







SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送