はじまりはじまり
――目を覚まして。 うるさい。 ――目を覚まして、ねえ。 うるさい。僕はまだ眠い。 ――目を覚まして、ねえ。起きて! うるさい。僕はまだ眠い。寝かせてくれったら! 『ピーターってば起きてよ!』 鼻の頭を軽く小突かれたような感触に、ピーター・パンは目を覚ました。 目の前にはふくれっつらの、それでも愛らしい妖精の顔。 木の実で作った靴の踵が、ピーターの鼻を踏んづけている。 「やあ、ティンク。おはよう……けど僕はまだ眠いんだ……もうちょっと寝かせて……」 そう言いながら再び瞼を閉じようとするピーターの前髪を、妖精ティンカー・ベルは思いっきり引っ張った。 『寝てる場合じゃなーい!』 チリンと金の鈴が鳴るような音を響かせ、ティンカー・ベルはピーターの額の上で地団駄を踏んだ。 普通の人間には鈴の音のようにしか聞こえない彼女の妖精語も、ピーターにははっきり理解できる。 ティンクはかなりご立腹のようだった。 仕方なく、かなり不服そうに、ピーターは眠るのを諦めて起き上がる。 「なんだってんだよ……」 ピーターは眠い目をこすりながら改めて周りを見渡して、ようやく異変に気づく。 まず目に飛び込んできたのは豪華な水晶のシャンデリア。 そして、同じくきらびやかな水晶の装飾で飾られた壁と螺旋階段。 彼が寝ころがっていたのは、いつものふかふかのベッドでもやわらかな草の上でもなく、お城の大広間の冷たい大理石の床だった。 そして、一番の異変。 「寒い! 寒い! なんでこんなに寒いんだ!?」 ネバーランドには冬は来ない。 けれど、彼がたまに遊びにいくロンドンの冬でさえこんなに寒くはない。 ただの冬とは違う、恐ろしいまでの冷気があたりを覆っている。 しかしその寒さの謎はすぐ解けた。 よく見るときらびやかに輝いて見えたのは水晶ではなく、氷。 ――彼がいるのは、氷に飾られた城の中だった。 「ようやく目覚めましたか、ピーター・パンよ」 冷然とした女の声が響き、見ると、氷の玉座に腰掛けた冷たい美貌の女性がこちらを見ていた。 驚くべきことに、その衣装も、身を飾る宝石も、頭に被った王冠でさえもすべてが氷でできている。 「あ、あんたは……?」 女の美貌と気品、そして冷たい眼差しに気圧されながらピーターが問う。 「わたくしは雪の女王。これより先はそなたらの導き手となるものです。ようく覚えておきなさい」 「そなたら?」 よく見ると、周囲には色々な格好をした人間や、動物や、果ては巨大な卵にしか見えないものまでがひしめいている。 ざわつく彼らを無視するように雪の女王は話を続ける。 「目を覚ましたのはそなたが最後です。これでようやく説明に移れるというもの」 女王が、氷のドレスの袖を一振りすると、周囲の氷の粒が集まって一枚の鏡になった。 そこには、いびつな丸い形の島が写し出されている。 真ん中より少し南に、白い城がそびえているのが見てとれた。 「そなたらは今この島の中心にある氷の城にいます。これから、この島のさまざまな場所へ散ってもらいます」 「はあ……」 ピーターはわかったようなわからないような返事をした。 状況にはついていけなかったが、この女性に逆らうのがなんとなく怖かったのでとりあえず話を聞くことにする。 しかし、次の言葉は完全にピーターの理解範疇外だった。 「そして、殺し合いをしなさい」 しん、と大広間が静まり返った。 氷で覆われた広間の冷気が、一段と強くなった気がする。 「あのー……女王様?」 「なんです」 「その、僕にはおっしゃる意味がよくわからないのですが……」 ピーターが控えめに異議を唱えると、女王は虫ケラを見るような目で彼を見た。 まるで、「物分りの悪い子だこと」とでも言いたげに。 「これはもう決まったことです。我々の創造主が決めたことです。逆らうことは許されません」 「女王よ、お待ちあれ! 創造主というのはつまり、神のことですか?」 一人の男が声を上げた。 猟師のような服に緑色のマントをつけた、精悍そうな若者。 ピーターは知らなかったが、彼の名はロビン・フッド。シャーウッドの森の頭領と呼ばれる歴戦の勇士だった。 女王は、ロビンの言葉にひとつ頷く。 「そう思ってもらってもかまいません。とにかく、そなたらごときには逆らうことのできぬ御方です」 そう言うと女王はもう質問は無用とばかりに、さっさと『殺し合い』の『約束事』を説明し始めた。 ひとつ、最後の一人になるまで殺し合うこと。 ひとつ、島の外へ出ないこと。 ひとつ、無理に首輪を外そうとしないこと。 「そなたらのしている首輪、それはとても恐ろしい魔法の首輪です。無理に外そうとすれば殺されるのを待たずに死ぬことになるでしょう」 女王は淡々とした口調で恐ろしいことを次々に話す。 言われて、初めてピーターは自分の首に銀の首輪がはまっていることに気づいた。 よく見ると、彼の小さな相棒のティンカー・ベルの首にも小さな銀の首輪がはまっている。 二人で顔を見合わせている間にも、更に女王の説明は続く。 「そして、日の出から昼、昼から日没の間、日没から夜明けの間にそれぞれ二つずつの『禁足地』を設けます。 そこに入っても死ぬことになるので気をつけるように。『禁足地』についてはこの城の鐘が鳴る時にそれぞれ伝えますから聞き逃さないように」 それでは、と。 雪の女王は、この時はじめて微笑んだ。冷たく、冷たく、にっこりと。 「思う存分、殺し合いなさい」
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